みないでかいてるから
子どもの発達支援を行う著者が心と外界をつなぐ
ことばの亀裂と調和をかなもじで描く連作物語詩
大学で障害児教育の教鞭をとる著者が、言語障害者のセルプヘルプグループにかかわるなかで感じた、社会へのとまどいをまとめた58篇の詩集。前作『まよなかのシャボンだま』に続き、言葉でできている社会にとまどい、ついていけない生きにくさを詩的な感受性でとらえなおす。
「言葉なんて信用していない。そんな自分が言葉とともにある厄介な状況を生きていく覚悟を決めている。ファンタジーと現実の往復が、いろんな状況で先走らないための杖になっているようだ」(本文まえがきより)
ひらがなで表記された言葉が、言葉以前に沸き起こる感情をやさしく表現し、言葉とともに生きる人間の条件を鋭くえぐる。その過程において、路に迷ったとき、自分の弱さや過去と向き合いつつ身体を少しずつ前に運ぶ手がかりを見出すことができる。
障害児教育に携わる教員、学生のみならず、言葉を使って生きねばならないことに疲れた方、現代社会と漠然とずれを感じている方におすすめの一冊。
四六判(128×188ミリ)
200頁
定価 (本体1000円+税)
ISBN 978-4-904380-47-5 C0092
2016年4月1日発行
著 者
さきはら ひでき
1961年、神奈川県小田原市生まれ。言語聴覚士・保育士・臨床発達心理士。
法政大学教育学科在学中に詩人で児童文学者の佐野美津男に師事。東京学芸大学大学院修士課程修了後、福祉・教育機関で言語や発達にかかわる仕事に従事。2000年4月から鹿児島国際大学教員。
専攻:発達心理学・知的障害児者の授業方法・吃音とセルフヘルプ・社会福祉援助技術論・「雑談」の方法など。著作に『まよなかのシャボンだま』(ラグーナ出版、2013年)がある。
はじめに(本文より)
(略)
私たちは、モノではなく言葉でできている世界を生きている。つまり言葉によって作られている社会の仕組みや人間関係のなかを生きている。
生きにくさの問題は、言葉によって問い直すとき、捉えどころのなさが感覚や風景として浮かび上がってくる。どこからどのように光を当てるかを問う以前に、光を当てる方向を探る感覚とそれを表現する言葉との溝をどのように埋めるのか?
言葉では多様な価値観を強調する割に、一緒に始めると何をしたいのかよく分からない。事態を打開するアイデアはいつでも持っていかれ、最終的に、ひとつの「ただしいおもい」以外は認めない現実場面での進め方。一方的にさせられる側とされる側が固定化されるなかで、身動きがとれなくなった。
いま、思えば、一致しないことを無理して言葉や勢いで埋めない。コミュニケーション(≒共に何かをすること)を通じてズレと重なりを楽しむ。いざこざも含め化学反応が起き、面白い発想や協働作業が生まれる世界から限りなく遠かった。
心と外にある現実をつなぐ言葉に亀裂が走り、言葉が浮遊し出した。言葉で感じたり、考えたりしているのに実感がなくなった。生きている世界のなかに自分を位置づけて、話したり聞いたりするのが息苦しくなった。大事な人や仲間とのつきあいもぎこちなくなった。
沈黙しないで生きることを選んだ。自分とは、言っていることとやっていることのつながりが違う人たちとのつきあいとは何か?フィクションとして実現しよう。その一部を「まよなかのシャボンだま(2013年、ラグーナ出版)」としてまとめた。
心と外にある現実をつなぐ世界を感じ直すために、自分の中に向い、外の世界にも伝わる言葉を組み立て直してきた。物語詩の連作によるファンタジーが生まれた。
(略)
目 次
はじめに
Ⅰ.なつちかくだったかな
Ⅱ.かぜとゆれてうたをうたう
Ⅲ.みないでかいてるから
Ⅳ.そらをおよぐさかな
Ⅴ.はてはてさてさて
Ⅵ.ふしぎなくにでおこっていること
Ⅶ.おにごっこ
Ⅷ.つかずはなれず
Ⅸ.ひるさがりのゆめ
Ⅹ.あのね かぜがくるよ
おわりに