癒やすのは、ひと
癒やすのは、ひと
こころの病とともに生きていくひとたちへ。
精神科の看護師・看護教員としてキャリアを重ねてきた著者。
自身がうつを患ったとき、癒しとなったのは―?
「看護師からみた患者」「患者からみた看護師」。
現職の精神科看護師が、こころの病への理解を願い、また回復への希望をこめて、こころの病をもつ人々をこまやかに描く。
四六判(128×188ミリ)
232頁
定価 (本体1500円+税)
ISBN 978-4904380918 C0095
2020年3月16日発行
著者
松下 幸一郎(まつした こういちろう)
1977年生まれ。看護師として複数の精神科病院に勤務し、また訪問看護を通して地域医療にも携わる。看護学校教員としては精神看護学の講義を担当。臨床・教育双方での経験や、自身の闘病経験を、精神の病の当事者や看護者のために役立てるべく、今後も活動予定。
はじめに(本文より)
私は、精神科看護師として精神医療に約10年たずさわり、看護教員(精神看護学専任教員)として教育に約8年たずさわってきました。そして私自身がうつ病という病気を体験した期間がありました。
私が看護師として働き始めたのは西暦2000年。当時の精神科病院は、現在のように人権に配慮された状況からは程遠い環境でした。
精神科病院という隔離された敷地の中では何が起こっていたのでしょうか。日本では1950年代以降、病院収容型治療主義(精神障がい者を地域で見ていくのではなく、入院治療を優先する考え)により、国策として精神科病床の増加を進めました。この病床の増加は1985年頃まで続きます。一方、欧米では1960年代に入り精神科病院の脱施設化をはかり、地域医療の充実、加速化の流れをたどりました。
日本という国に生まれ、なんらかの関係や環境の変化で精神を病み、時代と逆行した日本の国策により不幸にして長期入院を余儀なくされ社会の犠牲となった患者の方々。当時から現在に至り、世間から偏見や先入観により正しく理解されずにいた患者の方々。私は精神科の看護師として何ができたのだろうと後悔の念に駆られます。
精神科病院で人生の大半を過ごしてきた方々には、その方の生きてきた物語があります。生き方があります。そして価値観があります。私が今回このように、本を書くに至ったのは、精神を病んだ患者の生き方を形としてこの世に残したいという思いからです。
そして私自身も、うつ病にかかり仕事もできなくなり、生きている意味を見失いました。とてつもなく暗い闇の中の地下室に、閉じ込められた感覚でした。私の目に映る世界は、絶望に満ちていました。当事者になってみてわかる苦しみ。当事者にしかわからない苦しみが存在したのです。
以上のことから、看護師の方々はもちろんのこと、地域社会で共に生きる方々にも、精神に病をもつ患者とご家族を正しく理解してほしいと思うようになりました。
この書籍を通して、多くの臨床にたずさわる看護師に、そして地域で精神科の患者を見守っていく方々に、ほんの少しでもお役に立てれば幸いです。そして偏見や、先入観のない自由な考え方で、すべての人々が同じ人間として共に生きていければと切に願います。
目次
第1章 精神の病をもつ人との出会い
1.「強く握らないでください」
2.妄想カカロット
3.離さなかった手、離せなかった手、離したくなかった手
4.キャベツを切りたいと話した患者
5.イマムラくん
6.星の彼方に
第2章 精神の病をもつ人への理解
1.精神科の患者に対する正しい理解
2.「わかったようなふり」の弊害
3.健康観と障がい観
第3章 こころを病むプロセスと葛藤
1.何かがおかしいと感じるからだ
2.「あなたは病気ではない」
3.リアルに感じる副作用
4.三つの教訓
第4章 うつ病の苦しみの果てに
1.「休職イコール休養」ではない
2.モノトーンに映る世界
3.生きる目的を失ったとき
4.入院治療の決断と誤った退院
5.退職、そして新たな旅立ち
6.回復の兆し
第5章 看護師と患者、その世界観のズレ
1.まるで世界観が違う
2.精神科看護と精神看護
3.ケアする人の思い、ケアされる人の願い
4.花形の看護師 その1
5.花形の看護師 その2
第6章 薬では治せない葛藤という感情
1.こころは、どこに
2.薬で治せるもの、治せないもの
第7章 すべては、未来につながっていく
1.人間の成長と他者との関係性
2.競争よりも「共創」を
3.真の人間性
参考文献
あとがき